全米オープンHISTORY ?日本人がメジャー制覇へ近づいた日?
2016年4月16日(土)午後5:45
4大メジャーの中でも日本人選手が「全米オープン」で活躍するケースはあまり多くない。2000年以降を見ても日本人が予選を突破する確率はおよそ40%(※のべ65名中、25名)。
主催するUSGAは毎年、優勝スコアをイーブンパーに設定していると言われるほど、日本では経験することのない難しいコースセッティングが選手を苦しめる。チェンバーズベイで開催された前回大会では傾斜のきついグリーンとポアナ芝による凹凸で世界のトッププロも苦戦。
昨年の覇者ジョーダン・スピースも「このコースは60cmのパットも難しい」とコメント。まさにゴルフを超えた死闘、精神力の戦いとも言える。昨年も5人の日本人選手が出場して予選通過は松山英樹ただ一人だった。
バルタスロールの死闘
過去に日本人選手が活躍した大会と言えば、なんといっても1980年のバルタスロールGCで行われた全米オープン。
当時全盛期だった帝王ジャック・ニクラウスと青木功の一騎打ちに。4日間同組となった二人のプレーに世界中が釘付けとなり、青木は最終日残り9ホールで2打差まで追い詰めるも最後はニクラウスが17番、18番で連続バーディを奪い勝負あり。後に「バルタスロールの死闘」として語り継がれるようになり、日本男子が最もメジャーに近づいた瞬間だった。
最終日最終組、バック9で首位に立ったジャンボ
オークヒルCCで開催された1989年大会では"ジャンボ"こと尾崎将司が最終日最終組でプレー。
バックナインに入って一時トップに立つほど優勝に肉薄。前年の国内ツアーで6勝を挙げ賞金王になるなど当時、日本では圧倒的な強さを誇っていたジャンボだったが、14番で痛恨の3パットでボギー。そこから連続ボギーでスコアを落とし結果は6位。メジャータイトルの厳しさを痛感させられた。
タイガーを圧倒した2004年の丸山茂樹
過去の全米オープンを見ると日本からスポット参戦する選手よりもPGAツアーを主戦場とする選手が活躍しているケースが多い。その中でも優勝に近づいたのは2004年の丸山茂樹だ。
2001年から3年連続で米ツアーで優勝していた丸山だったが、初出場の2000年大会では予選落ち、2002年は16位に入るが、翌2003年は予選落ちとタフなコースセッティングに苦しめられていた。
迎えた2004年、シネコックヒルズGCで行われた大会でタイガー・ウッズと予選ラウンド同組となった丸山は2日目終了時点でトップタイに。タイガーを圧倒するプレーで日本中を沸かせた。決勝に入ると、ボギー先行の我慢比べのプレーを強いられるが、フィル・ミケルソン、アーニー・エルス、レティーフ・グーセンら強豪と渡り合い、メジャー自己最高の4位でフィニッシュ。
松山英樹、世界を驚かせた最終日の猛チャージ
メリオンGCで開催された2013年大会。
日本予選会を突破し全米オープン初出場の松山英樹は最終日10オーバーの39位タイからスタートすると、6バーディ、3ボギー、大会ベストスコアに並ぶ「67」(パー70)をマークし、一気にリーダーボードを駆け上がった。結果7オーバーの10位タイに食い込み、翌年の出場権を獲得した。
大会終了後に「このコースで67が出たのはすごく自信になる。こういう舞台で優勝したい。」とコメント。その後、同年の全英オープンでも6位に入り、日本人初となるメジャー2大会連続トップ10入りの快挙を達成。翌年よりPGAツアーへ本格参戦する足掛かりとなった。
今季はPGAツアー2勝目を挙げ、マスターズでも7位タイと二年連続トップ10入りを果たした。メジャー制覇への期待が高まる中、全米に向けて松山は語る。
「USオープンはバーディを取るのが難しくて、我慢比べになるイメージ。気持ちが切れたらどこまでも崩れてしまう。オークモントは難しいコースなので、ティーショットのフェアウェイキープと、グリーンを外した時の奥からのアプローチが重要。優勝を目指すのは当然だし、みんな勝つために練習している。大切なのはその中で自分のベストを尽くすこと。」
6月16日、最難関メジャー「全米オープンゴルフ選手権」がいよいよ開幕する。
全米オープンゴルフ選手権 放送予定
初日 6月16日(木) 午後11:00?翌午前10:00
2日目 6月17日(金) 午後11:00?翌午前10:00
3日目 6月18日(土) 深夜0:00?翌午前9:00※最大延長午前10:00まで
最終日 6月19日(日) 深夜0:00?翌午前9:30※最大延長午前10:30まで
【放送予定】全米オープンゴルフ選手権
【見逃し配信】2016全米オープンゴルフ選手権
写真提供:Getty Images