石川遼、米ツアーの歩み PGAツアーへの挑戦、2011年からの歩みを振り返る
2016年12月1日(木)午後5:22
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2016年、石川遼は腰痛の悪化による長期離脱を余儀なくされ、2012年に獲得した米国PGAツアーのシード喪失のピンチに見舞われた。しかし、米ツアーの公傷制度をつかって約半年の休養とリハビリを決断。復帰2戦目で優勝をかざり、秋には米ツアーにも復帰。ゴルフワールドカップでは、盟友・松山英樹とともに日の丸を背負って戦う姿を見せてくれた。日本から世界へ。2011年から挑戦し続けている石川遼の歩みを振り返る。
日本から世界へ(2011年?2012年)
15歳で男子ツアー世界最年少優勝、18歳で国内ツアー最年少賞金王に輝くなど瞬く間に日本男子ゴルフ界の中心選手となった石川遼。2011年には自身2度目となる世界選抜に選ばれ「プレジデンツカップ」にも出場。アーニー・エルスとチームを組んでダブルスで1勝、最終日にはシングルス戦でババ・ワトソンを下すなど世界選抜の一員として堂々たるプレーを世界中に見せつけた。2012年の「プエルトリコオープン」では米ツアー初勝利へあと一歩のところまで迫る活躍で単独2位。この結果、米ツアーのスペシャルテンポラリーメンバーの権利を獲得した石川は来季の米ツアー参戦を目指す。18試合に出場して賞金ランキング125位以上の賞金を獲得し、見事に翌年のPGAツアーシードを手中に収めた。
希望と挫折 PGAツアーから学んだもの(2013年?2014年)
本格参戦1年目は23試合に出場して10試合の予選落ちを喫するなど苦しいシーズンに。最終結果はFEDEX CUPランキング141位。レギュラーシーズンでのシード獲得はならず、下部ツアーとの入れ替え戦に進み、翌シーズンの出場権を獲得した。熾烈なシード争いをしたことが石川を成長させる。翌シーズンは開幕2戦目で2位タイに入ると、3月までにトップ10入り3回と早々にシードを確実なものにし、FEDEX CUPランキング75位でプレーオフシリーズに出場した。シーズンを終えた石川は「シード権を取るまでは予選を確実に通過してポイントを重ねることだけを考えていた。シードが確実になってからは、優勝するには何が必要かを考えた。自分が難しいと思うコースでも平気で7アンダーで回ってくるのがPGAツアー。勝つためにはドライバーの飛距離やアイアンの精度などショット力が必要」と更なる高みを目指す。
米ツアー3年目の成長と原点回帰(2015年?2016年)
「優勝できるゴルフを目指そうと思いながらも、シード権を意識した消極的なゴルフになっていた」石川はもがき苦しみながらも、FEDEX CUPランキング124位と土壇場で翌年のシード権を手にした。苦悩の末にシード権を掴んだ米ツアー3年目、石川には転機となる大会があった。初出場の「ザ・プレーヤーズ選手権」で8位に入り、シーズン初のトップ10フィニッシュ。「TPCの時に“スイングだけがゴルフじゃない"と思った。ショットを曲げてもアプローチやパターでリカバリーしていく。そういうゴルフをしていかないと、勝つためのゴルフに近づかない。」ショットが悪くてもビッグトーナメントで結果を出したことが石川に原点回帰を気づかせた。「いつアメリカに行っても同じ結果になっていたと思う。それが自分の運命だし、そこから何を学べるかが大事。この3年間を経験できて良かった。」と次なるステージを見据えた石川の姿があった。
石川遼挑戦記 12/5より過去放送分を連日・さらに12/23(金・祝)は18番組を一挙放送
12/23初回放送!石川遼挑戦記2016年の最終弾 「石川遼の挑戦?Stage to Revival?」
怪我でツアーから離脱した2016年。復帰までの道のり、松山英樹と共に日本代表として出場した「ゴルフワールドカップ」、そして2017年に向けて石川は何を語るのか。独占インタビューを交えてお届けする「石川遼挑戦記」シリーズの2016年最終弾。
【放送予定】石川遼の挑戦?Stage to Revival?
【見逃し動画】石川遼の挑戦?Stage to Revival?